牧野伸顕  [ まきののぶあき ]

牧野伸顕
画像元:Wikipedia
生誕年月日 文久元年10月22日(1861年11月24日)
出生地  ------------- 
没年月日 1949年(昭和24年)1月25日
没地  ------------- 
特記事項 職業:政治家
位階:従一位
勲等:勲一等旭日桐花大綬章
爵位:伯爵
通称:シンケン
諱:是利
親族:大久保利通(父)、満寿子(母)、牧野峰子(妻)、寬仁親王妃信子(曾孫)、麻生太郎(曾孫)
職歴:第27代外務大臣、第24代農商務大臣、第30代文部大臣、第27代文部大臣
その他の職歴:内大臣、宮内大臣、枢密顧問官、茨城県知事、福井県知事
経歴 明治から昭和にかけて活躍した政治家で、昭和天皇の側近。
大久保利通と満寿子の次男で、牧野家を継いだ。岩倉使節団に随行し、アメリカで勉強した。帰国して東京開成学校に入学したが、12年中退し外務省に入り、ロンドン日本公使館を務める。その後、法制局参事官など経て、21年黒田清隆総理秘書官、内閣記録局長、福井、茨城県知事などを経験、その後、文部次官に就く。以降、駐伊公使、駐オーストリア公使として約10年ヨーロッパに滞在。帰国後、第1次西園寺公望内閣の文部大臣に就き、義務教育年限延長や文部省美術展覧会開催に尽力。第2次西園寺内閣では農商務大臣となり、第1次山本権兵衛内閣で外相を務めた。パリ講和会議には西園寺らと日本全権として出席、日本側の実質的中心の役割を果たし、次席全権大使として人種的差別撤廃提案を行っている。
その後、のちの昭和天皇の摂政就任、成婚などに心血を注ぎ、伯爵を授けられた。昭和10(1935)年に辞職するまで、国際協調推進、立憲政治擁護の立場で西園寺元老と共に天皇を補佐し、深い信任を得たが、軍部、民間の「革新」派から「君側の奸」として攻撃される。また暗殺の対象とされ、5・15、2・26事件の際襲撃されたが難を逃れている。辞職後も同じ立場で陰で活動し、敗戦後病没。

都心の歴史ある高級霊園

1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。


牧野伸顕の墓碑位置

1-ロ12-1~6

墓情報

埋葬地名 都営青山霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
所在地 東京都港区南青山2-32-2
最寄駅 • 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分
• 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分
最寄I.C. 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館

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