Guido Herman Fridolin Verbeck [ グイド・ヘルマン・フリドリン・フェルベック ]
画像元:Wikipedia
生誕年月日 | 1830年1月23日 |
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出生地 | オランダ・ザイスト市 |
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没年月日 | 1898年3月10日 |
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没地 | 東京 赤坂葵町 |
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特記事項 | 職業:法学者、神学者、宣教師 親族:カール(父)、アンナ・マリア・ケラマン(母)、エマ・ジャポニカ・フルベッキ(娘)、グスタヴ(息子)、ウィリアム・ジョーダン・ヴァーベック(孫) |
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経歴 | 幕末から明治にかけて活動した法学者、神学者、宣教師。 裕福な商人の家に生まれ、機械工学を学び、22歳の時に渡米。ニューヨーク移に移り住み、橋や機械類のデザインをしていたが、コレラに感染。療養中、完治したしたら宣教になることを決意する。また、それにいたるまでには当時の南部の奴隷たちの現状を知ったこと、ヘンリー・ウォード・ビーチャーの教えに関心を持ったことが挙げられる。そして1855年に神学校に入学。 その後、布教のため米国オランダ改革派教会から派遣され、ヘボンやブラウンらと同じ年の1859年に来日。長崎に住み、長崎奉行所管轄の済美館や、佐賀藩の致遠館で教え、博学で理解が広く謙虚な人柄から、多くの人に敬愛された。教え子の大隈重信、副島種臣らは維新後にフルベッキを東京に招き、教育、外交面で彼の助言を求めた。切支丹禁制の廃止が決まると政治活動を止めキリスト教の布教に貢献。一致神学校で教え、旧約聖書翻訳では詩篇の名訳を生み、また政府への貢献から自由に国内を旅行できる特権を活用得て地方伝道を行った。 |
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都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
Guido Herman Fridolin Verbeckの墓碑位置
外人墓地
墓情報
埋葬地名 | 都営青山霊園 |
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ウェブサイト | http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html |
所在地 | 東京都港区南青山2-32-2 |
最寄駅 |
• 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分 • 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分 |
最寄I.C. | 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分 |
拝観時間 | 午前8時30分~午後5時15分 |
拝観料 | 無料 |
周辺情報 | 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館 |