野村維章 [ のむらこれあき ]
生誕年月日 | 弘化元年4月8日(1844年5月24日) |
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出生地 | 土佐国小高坂村 |
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没年月日 | 明治36年(1903年)5月7日 |
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没地 | ------------- |
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特記事項 | 職業:海援隊、司法官 別名:要輔、辰太郎 勲章:勲一等瑞宝章 爵位:男爵 親族:野村亀四郎(父) |
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経歴 | 江戸で江川英敏に新式砲術を学び、土佐藩の砲術教授役となる。 その後元治元年(1864年)10月には、土佐藩船南海丸で長崎に渡航し、英語を何礼之塾で学ぶ。また坂本龍馬とも交流を持つようになり、脱藩後、龍馬が結成した亀山社中に加わった。社中では江戸で学んだ新式砲術術が役立ち、同門だった白峰駿馬と船長となる。その後慶応3年(1867年)4月に改編成された海援隊にも加わり中枢の一人として活躍するが、同年11月に隊長の龍馬は死亡する。 内部分裂した海援隊は同年閏4月に解散となるが、同志の千屋寅之助らと7月に振遠隊に参加、幹部として戊辰戦争に従軍し、奥羽鎮撫総督府の参謀添役として奥羽で戦功を挙げた。 明治維新後は新政府に出仕し、佐賀県権参事・参事を歴任の後、2代茨城県権令に就き、初代茨城県令に就任。その後司法官に転じ、宮城・東京・大阪・函舘などの控訴院検事を歴任し、東京控訴院検事長・大阪控訴院検事長にまで進んだ。 |
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都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
野村維章の墓碑位置
1-イ5-20
墓情報
埋葬地名 | 都営青山霊園 |
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ウェブサイト | http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html |
所在地 | 東京都港区南青山2-32-2 |
最寄駅 |
• 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分 • 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分 |
最寄I.C. | 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分 |
拝観時間 | 午前8時30分~午後5時15分 |
拝観料 | 無料 |
周辺情報 | 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館 |