野津道貫 [ のづみちつら ]
画像元:Wikipedia
生誕年月日 | 天保12年11月5日(1841年12月17日) |
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出生地 | 鹿児島城下高麗町 |
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没年月日 | 明治41年(1908年)10月18日 |
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没地 | ------------- |
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特記事項 | 職業:薩摩藩士、陸軍軍人、貴族院議員 通称:七次 諱:道貫 勲章:正二位大勲位功一級 爵位:侯爵 親族:野津七郎(父)、野津鎮雄(兄)、野津登女子(妻)、野津鎮之介(長男)、野津鎮雄(二男)、野津鎮彦(四男)、上原勇作(娘婿)、大原真佐子(孫) |
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経歴 | 薬丸兼義に薬丸自顕流を学び、戊辰戦争に6番小隊長として参加。活躍がめざましく、鳥羽伏見の戦いから会津戦争、次いで箱館戦争に参戦。西南戦争では、征討軍第2旅団参謀長として従軍。自身は西郷隆盛を崇敬していたが、九州の各地を転戦し、田原坂の戦で勇名を馳せた。 その後は東京鎮台司令官、陸軍中将、広島鎮台司令官、国防会議議員と歴任。 日清戦争では第5師団長を務め平壌を陥落させ、病で召喚された山県有朋の代わりに第1軍司令官を率い連戦連勝、28年陸軍大将に進んだ。 日露戦争が起こると62歳で第4軍司令官として満州(中国東北部)に出征し、常に第1軍(黒木軍)、第2軍(奥軍)の中堅となって両軍の進撃を援護した。これにより元帥の称号を戴くまでに至る。 |
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都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
野津道貫の墓碑位置
1-イ1-26
墓情報
埋葬地名 | 都営青山霊園 |
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ウェブサイト | http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html |
所在地 | 東京都港区南青山2-32-2 |
最寄駅 |
• 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分 • 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分 |
最寄I.C. | 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分 |
拝観時間 | 午前8時30分~午後5時15分 |
拝観料 | 無料 |
周辺情報 | 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館 |