中江兆民  [ なかえちょうみん ]

中江兆民
画像元:Wikipedia
生誕年月日 弘化4年11月1日(1847年12月8日)
出生地 土佐郡北街山田町
没年月日 明治34年(1901年)12月13日
没地 大阪府
特記事項 職業:思想家、ジャーナリスト、政治家
名:篤介、篤助
幼名:竹馬
号:兆民
著書:「民約訳解」「非開花論」「維氏美学」「理学沿革史」「理学鉤玄」「革命前法朗西二世記事」「三酔人経綸問答」「平民の目さまし」「論理学参考書道徳学大原論(前後編)」「一年有半」「続一年有半」
経歴 思想家でジャーナリスト、政治家(衆議院議員)である。
明治維新以前には文武館開校に入門、外国語なども学ぶ。先輩に坂本龍馬がおり、頼まれてたばこを買いに走ったというエピソードが残っている。兵庫が開港されると上方へ赴き、フランス外交団の通訳にあたる。
明治維新後は政府に出仕し、岩倉使節団には司法省9等出仕として採用、哲学、文学、史学を学び7年帰国。東京で仏学塾を設立し、ルソーの「民約論」などを講義、民権思想の紹介に努めた。またルソー著「社会契約論」の翻訳「民約訳解」の連載は政治に興味を持つ青年達に多大な影響を与え、「東洋のルソー」と評された。
その後、第1回衆議院議員総選挙に当選、立憲自由党に加盟するが、第一議会の予算問題で自由党土佐派が妥協したのを憤慨し議員を辞職。
実業家として各地を渡り歩き、数々の事業を行うが失敗。国民党を結成して政界復帰を望むが、食道癌に倒れ、55歳で死去。

都心の歴史ある高級霊園

1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。


中江兆民の墓碑位置

1-イ1-24

墓情報

埋葬地名 都営青山霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
所在地 東京都港区南青山2-32-2
最寄駅 • 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分
• 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分
最寄I.C. 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館

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