津田仙  [ つだせん ]

津田仙
画像元:Wikipedia
生誕年月日 天保8年7月6日(1837年8月6日)
出生地 佐倉城内
没年月日 明治41年(1908年)4月24日
没地 東海道本線の車内
特記事項 職業:農学者
宗教:キリスト教
親族:小島良親(父)、初子(妻)、津田梅子(娘)
主な著書:「農業三事」「農業新書」(学農社)「酒の害」(学農社雑誌局)
経歴 江戸では蘭学塾へ入門、森山栄之助の下で英語などを学ぶ。文久元年(1861年)外国奉行の通訳として採用された。
明治維新後は築地の洋風旅館、築地ホテル、北方の開拓使を経験し、その後民部省に勤める。ウイーン万国博覧会に書記官として随行し、オランダ人農学者のダニエル・ホイブレイクの指導を受け、農業三事を出版。また、ウィーン万博から持ち帰ったニセアカシアの種子は明治8年(1875年)に大手町に植えられ、東京初の街路樹となった。
農産物の栽培・販売・輸入、農産についての書籍・雑誌の出版などを事業とする学農社を設立、その一環として農学校も併設した。そのほかにも同志社大学、青山学院大学、筑波大学附属盲学校の創立に関わる。また、アメリカ産トウモロコシの種を日本で始めて通信販売の形で販売する。
足尾鉱毒事件では田中正造を助け、農民救済運動に奔走した。その後は事業を次男に譲り引退、鎌倉で過ごす。 また人間の自由と平等を説いた東京帝国大学教授の中村正直らと、「キリスト教界の三傑」と言われた。

都心の歴史ある高級霊園

1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。


津田仙の墓碑位置

1-ロ8-39

墓情報

埋葬地名 都営青山霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
所在地 東京都港区南青山2-32-2
最寄駅 • 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分
• 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分
最寄I.C. 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館

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