有村雄助
[ ありむらゆうすけ ]
没年月日 |
万延元年3月24日(1860年4月14日) |
特記事項 |
所属:薩摩藩士、尊攘派
親族:有村兼善(父)、連寿尼(母)、海江田信義(兄)、有村次左衛門(弟)
諱:兼武
|
経歴 |
幕末に活躍した薩摩藩士で、尊攘派志士。
弟次左衛門と脱藩し江戸で尊攘活動に参加。安政の大獄後に大老井伊直弼襲撃計画を水戸藩士と共に計画。井伊直弼襲撃当日は参画したが決行時桜田門の現場にはおらす、暗殺の報告を受けそれに呼応して水戸藩士金子孫二郎とともに京都に向かうが、幕府によって藩士が捕らえられる事を恐れた薩摩藩は途中捕縛、その後薩摩に護送した。その後、幕府の探索を恐れた薩摩藩の命に従い、自刃。
|
都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
有村雄助の墓碑位置
1-ロ12-7~10