吉田清成 [ よしだきよなり ]
生誕年月日 | 弘化2年2月14日(1845年3月21日) |
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出生地 | 鹿児島県鹿児島市上之園町 |
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没年月日 | 明治24年(1891年)8月3日 |
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没地 | ------------- |
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特記事項 | 職業:薩摩藩士、官僚
元名:巳之次 通称:太郎 変名:永井五百助 爵位:子爵 親族:吉田源左衛門(父) |
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経歴 | 幼少より学問に励み、藩立開成所に入り石河確太郎から蘭学を学ぶ。その後、イギリス・アメリカに留学して航海学を学ぶが、後に政治経済に転じた。帰国後に大蔵省に出仕して租税権頭・大蔵少輔を歴任する。 1872年(明治5年)には外債募集のためにイギリス・アメリカに派遣されるが、2年後にアメリカ滞在のまま同国駐在全権公使に任命された。1878年(明治11年)に吉田清成とエヴァーツ国務長官との間で締結された吉田・エバーツ条約で知られている。 その後、外務大輔に任命されて帰国、井上馨外務卿の元で条約改正に尽力。その後、農商務大輔に転じ、初代次官に任じられた。 1887年(明治20年)に子爵に叙せられて、元老院議官に転出、翌年には枢密顧問官となるが、病により47歳の若さで急死した。 京都大学日本史研究室には「吉田清成文書」として生前に吉田が書いた多数の手紙・日記・記録が保存されている。 |
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都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
吉田清成の墓碑位置
1-ロ15-5
墓情報
埋葬地名 | 都営青山霊園 |
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ウェブサイト | http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html |
所在地 | 東京都港区南青山2-32-2 |
最寄駅 |
• 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分 • 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分 |
最寄I.C. | 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分 |
拝観時間 | 午前8時30分~午後5時15分 |
拝観料 | 無料 |
周辺情報 | 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館 |