大石正巳
[ おおいしまさみ/まさき ]
生誕年月日 |
安政2年4月11日(1855年5月26日) |
経歴 |
明治7年(1874年)に板垣退助の立志社に参加し、自由民権運動に従事。その後明治14年自由党結成時の幹事を務める。翌年の明治15年には板垣の洋行に反対して離党。明治20年には後藤象二郎の大同団結運動に参加する。明治31年憲政党創立委員となり、第1次大隈内閣の農商務相を務める。同年衆議院議員(当選6回、立憲同志会)。
憲政党分裂後は憲政本党・立憲国民党に参加し、明治44年には犬養毅・河野廣中と並んで不在の党首にかわる常務委員となる。大正2年、犬養との確執から桂太郎の新党である立憲同志会に準備段階から参画し、桂総裁の下で後藤新平、河野廣中、大浦兼武、加藤高明と並んで総務5人の一人となった。
昭和10年7月12日、81歳で死去。
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都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
大石正巳の墓碑位置
1-ロ12-6