山口素臣 [ やまぐちもとおみ ]
画像元:Wikipedia
生誕年月日 | 弘化3年5月15日(1846年6月8日) |
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出生地 | 萩(現・山口県) |
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没年月日 | 明治37年(1904年)8月7日 |
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没地 | ------------- |
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特記事項 | 職業:陸軍軍人、華族 別称:戦将中の戦将 階級:陸軍大将従三位勲一等功二級子爵 親族:山本芳(父)、山口義惟(養父)、山口十八(養嗣子) |
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経歴 | 山口藩士の子で後に山口義惟の養子となり、戊辰戦争に奇兵隊嚮導役として従軍。明治になると陸軍に仕官する。 佐賀の乱・西南戦争では陸軍少佐・近衛歩兵第1連隊大隊長として参戦する。戦後は歩兵第9連隊長、歩兵第7連隊長を経て陸軍大佐に進級し、熊本鎮台参謀長、東京鎮台参謀長、近衛参謀長を務める。その後、1887年(明治20年)9月から翌年6月まで視察目的で欧米に渡る。 日清戦争では歩兵第3旅団長として出征し戦果を挙げ、その功により男爵を授けられ、1896年(明治29年)10月、陸軍中将に進み第5師団長に補される。 北清事変に出征し戦功を挙げ勲一等旭日大綬章、功二級金鵄勲章を受章する。1904年(明治37年)3月、陸軍大将に進み軍事参議官に任命されるが同年8月に逝去し、子爵を追贈された。数々の戦役に悉く従軍した事から「戦将中の戦将」と評された。 |
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都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
山口素臣の墓碑位置
1-イ16-3
墓情報
埋葬地名 | 都営青山霊園 |
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ウェブサイト | http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html |
所在地 | 東京都港区南青山2-32-2 |
最寄駅 |
• 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分 • 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分 |
最寄I.C. | 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分 |
拝観時間 | 午前8時30分~午後5時15分 |
拝観料 | 無料 |
周辺情報 | 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館 |