山口尚芳  [ やまぐちますか(なおよし) ]

山口尚芳
生誕年月日 天保10年5月11日(1839年6月21日)
出生地 佐賀藩の武雄領
没年月日 明治27年(1894年)6月12日
没地  ------------- 
特記事項 職業:佐賀藩士、官僚、政治家
親族:山口尚澄(父)、俊太郎(子)
通称:範蔵
勲章:勲一等瑞宝章
経歴 佐賀藩武雄領主鍋島茂義に将来性を見込まれ、幼いころから勉学に励み、オランダ語や蘭学を学んだ。また、同藩の大隈重信・副島種臣らと共に、当時ちょうど来日していたグイド・フルベッキに英語を学んでいる。
その後翻訳方兼練兵掛として勤務し、幕末の政治状況の中で、薩摩藩や長州藩の武士と交流し、薩長連合に尽力。江戸開城に立ち会うなど活躍する。
新政府では外国事務局御用掛や外国官判事兼東京府判事となり大蔵大丞兼民部大丞、外務少輔など歴任し、明治4年には大久保利通・木戸孝允・伊藤博文と並び岩倉遣外使節の副使を務め、各国を歴訪した。
征韓論争においては、大久保・木戸らとともに遣韓使節反対の立場を取る。山口尚芳の屋敷跡は武雄市の花島にあり、現在は公民館の敷地となっている。また、公民館の横には、昭和5年(1930年)に地元の有志により建設された記念碑が立っている。

都心の歴史ある高級霊園

1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。


山口尚芳の墓碑位置

1-イ1-2~3

墓情報

埋葬地名 都営青山霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
所在地 東京都港区南青山2-32-2
最寄駅 • 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分
• 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分
最寄I.C. 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館

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