矢代操
[ やしろみさお ]
特記事項 |
職業:越前鯖江藩士、法学者
創設:時習社、明治法律学校 |
経歴 |
幕末期の越前鯖江藩士で、明治時代の法学者。
明治3年大学南校(東大の前身)に入学し、司法省明法寮でフランスの法学を学ぶ。その後、井憲太郎をはじめ若手の弁護士らが中心となって設立された出版社である「時習社」に参加する。ここでは法律ジャーナル「法律雑誌」の「印刷人」として雑誌を発行すると同時に、「仏国警視並治罪法」「仏国民法財産相続表」を出版する。
のちに講法学舎をひらいて法学を教授し、岸本辰雄らと明治法律学校を創設した。これが後の明治大学となる。
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都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
矢代操の墓碑位置
1-ロ17-16