森有礼(森有禮) [ もりありのり ]
画像元:Wikipedia
生誕年月日 | 弘化4年7月13日(1847年8月23日) |
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出生地 | 薩摩国鹿児島城下春日小路町 |
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没年月日 | 明治22年(1889年)2月12日 |
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没地 | ------------- |
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特記事項 | 職業:薩摩藩士、外交官、政治家 爵位:子爵 通称:助五郎、金之丞 俗称:明六の幽霊 親族:森喜右衛門有恕(父)、横山安武(兄)、森有正(孫) |
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経歴 | 幕末期から明治にかけて活躍した薩摩藩士であり外交官、政治家。一橋大学創設者でもある 1865年(慶応元年)、五代友厚らとともにイギリスに留学し、その後アメリカにも留学。このとき、キリスト教に深い関心を示した。維新後に帰国し、福澤諭吉、西周、西村茂樹、中村正直、加藤弘之、津田真道、箕作麟祥らと共に明六社を結成。その後、東京銀座尾張町に、のちに一橋大学に発展する私塾商法講習所を開く。 その後、第1次伊藤博文内閣の下で初代文部大臣として就任し、以後、日本における教育政策を行い、「良妻賢母教育」こそ国是とすべきであると声明。その後全国の女学校と高等女学校に「生徒教導方要項」を配る。 その後、学位令を発令っするなど様々な学校制度の整備に邁進し、近代国家としての教育制度の確立に奔走し、英語の国語化を提唱。しかし1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布式典の当日、2月11日に、国粋主義者・西野文太郎に切りつけられ、翌日死去した。 また前衛的な考え方においていかれた大衆は「明六の幽霊(有礼)」と呼んだ。 |
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都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
森有礼(森有禮)の墓碑位置
1-イ1-12
墓情報
埋葬地名 | 都営青山霊園 |
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ウェブサイト | http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html |
所在地 | 東京都港区南青山2-32-2 |
最寄駅 |
• 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分 • 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分 |
最寄I.C. | 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分 |
拝観時間 | 午前8時30分~午後5時15分 |
拝観料 | 無料 |
周辺情報 | 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館 |