野津鎮雄 [ のづしずお ]
生誕年月日 | 天保6年9月5日(1835年10月26日) |
---|
出生地 | 薩摩国(現・鹿児島県) |
---|
没年月日 | 明治13年(1880年)7月22日 |
---|
没地 | ------------- |
---|
特記事項 | 職業:大日本帝国陸軍軍人 通称:七左衛門 諱:鎮雄 親族:野津七郎(父)、野津道貫(弟) |
---|
経歴 | 青山愚痴に天山流砲術を、薬丸兼義に薬丸自顕流を学ぶ。薩英戦争では青山愚痴のもとで戦い、沖小島を守る。 戊辰戦争は五番隊長として鳥羽伏見の戦い、奥羽・箱館にて転戦。 その後、薩摩、長州、土佐の3藩の兵士により、明治政府の最初の直属軍隊御親兵が編成され、薩藩の大隊長を務め、その後、陸軍少将となる。佐賀の乱では、大久保利通指揮下で歩兵と砲兵の指揮官として出陣、佐賀城奪回に貢献した。そののち、熊本鎮台司令長官、東京鎮台司令長官を歴任。 西南戦争では第一旅団司令長官、陸軍中将として出陣。のちに中部監軍部長、名古屋・大坂鎮台管下の教育検閲管掌となる。 天皇の随行の命を受けるが直前で病に倒れ死去。 |
---|
都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
野津鎮雄の墓碑位置
1-イ1-26
墓情報
埋葬地名 | 都営青山霊園 |
---|---|
ウェブサイト | http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html |
所在地 | 東京都港区南青山2-32-2 |
最寄駅 |
• 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分 • 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分 |
最寄I.C. | 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分 |
拝観時間 | 午前8時30分~午後5時15分 |
拝観料 | 無料 |
周辺情報 | 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館 |