中牟田倉之助  [ なかむたくらのすけ ]

中牟田倉之助
画像元:Wikipedia
生誕年月日 天保8年2月24日(1837年3月30日)
出生地  ------------- 
没年月日 大正5年(1916年)3月30日
没地  ------------- 
特記事項 職業:海軍軍人
本姓:金丸
幼名:武臣
親族:金丸文雅(父)、石子(母)、牟田武貞(義父)
爵位:子爵
経歴 日本の海軍軍人。海軍大学校長、枢密顧問官、子爵。幼名は武臣。金丸孫七郎の次男だったが、中牟田家の養子となる。
20歳の時、佐賀藩主・鍋島直正の推薦で長崎海軍伝習所へ入所し、卒業後には三重津海軍所で佐賀藩海軍方助役を務め、海軍力の発展に尽力。戊辰戦争の箱館総攻撃では「朝陽丸」の艦長に任命されるが、旧幕府軍艦「蟠龍丸」の砲弾が「朝陽丸」の火薬庫を直撃し大爆発を起こす。奇跡的にも英国船「パール号」に救助されて一命を取り留めたが重傷を負う。
戊辰戦争の勲功により海軍中佐、その後海軍大佐、海軍中将に昇進する。日清戦争直前、海軍軍令部長を勤めていたが、自身が徹底した非戦派であったことより、開戦派であった山本権兵衛に海軍軍令部長の席を樺山資紀と交代させられてしまうことがあった。
後に枢密顧問官に就くが、大正5年(1916年)死去。享年80。

都心の歴史ある高級霊園

1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。


中牟田倉之助の墓碑位置

中牟田倉之

墓情報

埋葬地名 都営青山霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
所在地 東京都港区南青山2-32-2
最寄駅 • 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分
• 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分
最寄I.C. 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館

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