坂道の多い街ー本郷通り編
法眞寺本郷赤門前霊園周辺の旅

文:つつみみき

今回は東京は文京区本郷にある、「赤門前霊園」の周辺をご紹介します。

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今回降り立ったのは「本郷三丁目」駅。大江戸線、丸の内線もこの名前の駅がありますね。「赤 門前霊園」に向かうには大江戸の線の方がもうすこし近いでしょう。

 

坂道の多い街 本郷

 

改札を出て、東にすすみ、本郷通りという大通りを北にあるけばゆっくり歩いても10分ほどで 到着します。 本郷通りは、人通りが多く、車の通りも多い道です。また、そんな道でありながら途中歴史ある 建物や、神社に出会えるため、平日の昼間だというのに観光を楽しむ団体客も多く見かけました。 駅から降りてすぐのこの道にもすでに謂れのある建物や店が見つかる街だという印象でした。

たとえば、有名なところでいうと、「かねやす」という店をご存知でしょうか。 

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元禄当時は歯医者である兼廉祐悦(かねやすゆうえつ)が「乳香散」という今でいう歯磨き粉で人気をよんだ このお店。いまは洋品、バッグなどを売る「小間物屋」 として大通りの角にビルを構えていました。

大岡越前で知られる江戸の大名、大岡忠相(ただすけ) が、享保年間、大火事があったのちに、当時の建築上、板や茅葺き(かやぶき)屋根が多かった建物をか ねやすを北限として瓦を葺くことを許したといわれ「本郷もかねやすまでは 江戸の内」という言葉が言わ れるようになったといいます。 写真にある看板にも、当時江戸の街並みは瓦の家が続き、中山道は板や茅葺き屋根がおおかったことが記されており、その境目の大きな土蔵のある「かねやす」が目立っていることが書かれています。大岡越前のおふれのの言葉はいまでもいい宣伝文句になっているのですね。

通りを渡ると本郷薬師と書かれた、たくさんの提灯をさげた鳥居が見えます。鳥居をくぐると店々 が立ち並ぶその奥に小さな本郷薬師が見えます。もともと戦災にあって世田谷にうつるまではこ こは真光寺の境内だったそう。当時御府内に病に倒れるものが数知れず出たため薬師様に祈願し て病気が治ったと言われているそうです。鐘を撞くその向こうに「山王医」の三文字が掲げられ ているのも薬師如来の菩薩として古くからここを護ってきたのだろうなということが伺えます。 そのすこし先には十一面観世音菩薩が。この菩薩も真光寺にいらしたとのことですが、太平洋戦争後、真光寺が焼失してもこの観音像は免れたと書いてありました。そうして、いまもなおこの地で人々の苦悩や病からの救済に手をさしのべているありがたい観音様です。

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ここ最近、わたしは青山にある根津美術館にて菩薩の 展示会に行くことがありました。 それまではあまり、菩薩という言葉に対しても知識が なかったのですが、仏教でいう悟りを開いたものが「仏 様」であることに対して、人々の救助をし悟りを開く 前の修行をする者を「菩薩」というのだということを 知りました。 修行に励むものは像として祈りを込め彫り型取るもの、 また描くもの、刺繍により残す者、水墨で残すもの、 あらゆる形でわたしたちの元に大切に残されていまし た。修行に励んだものが、祈りを込めながら魂を込め た菩薩観音像に、人々はきっと必死の思いで手を合わ せたのでしょう。 菩薩は弥勒、文殊、普賢・・など様々な種類があり、 その姿も広まる地域や時代により変化はあります。それぞれに人々の苦しみを救済する役割をもっていることがわかります。現代のように医学も発達 していない当初にできる術(すべ)は祈りであり、その宗教観と創造性と、神秘に人々は、ひき こまれていくわけです。

ちなみに、この十一面観音というのは言うまでもなく頭の上の11の顔を持つ観音菩薩で、怒った忿怒の顔をした表情や、笑った顔など・・・11の表情をあらゆる方向に向き、人々に向き合っているのです。思いは魂となり、菩薩に込められ、人々はその菩薩を囲み幸せを願う。

ふと、手を合わせて祈る行為は、お墓参りをすることとなにも変わらないことに気づきました。わたしたちと変わらない姿の「人間」という有機物であったのに、亡くなると途端に、目には見えない なにかぬくもりが漂っているかのようにわたしは思ってしまうのです。それはわたしだけの考え方かもしれませんが、大切におもうひとほど、そこにいてほしいと寄り添う思いをそのぬくもりに念じてしまうのです。念じたり、祈ったり、石や像、社を前にしながらわたしたちは、目には見えないものに届けたい思いをこめます。お墓とは、大切なひとと自分をつなぐ目印なのかもしれません。それは、宗派を超えた特有の宗教観だと、一種の文化を見たようにこの地で知ることができた気がしました。この菩薩の位置からは、東大も、霊園も目と鼻のありますが、ちょっと遠回りをして菊坂通りをまわり、ぐるりと旧真砂町をたずね、わたしはぶらりぶらりと歩きました。

古き良き時代の建物を残しつつ、その昭和に生まれた商店を大切にし、昭和から平成にかけてうまれた専門店が仲良く並んでいる、ーこの街は、きっとお互いの良さをとても大切にしているのでしょう。なんとも訪れたものにもその空気が心地がよく、うつるのです。

次回は 「本郷赤門前霊園のある街 ー赤門前編 」 を紹介します。

 

 

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